数寄屋建築とは
数寄屋建築(すきやけんちく)とは、日本を代表する建築様式の一つです。
そもそも「数寄屋」とは茶室のことです。
数寄屋造りの茶室が出現したのは安土桃山時代。
当時の茶室は庭園に面して母屋とは別の「別棟」として造られました。
数寄屋建築とは、茶室風を取り入れた住宅様式です。
現代の数寄屋建築と昔のものとでは違いがありますが、千利休の代表される草庵風茶室などで
その初源を垣間見ることができます。
江戸時代になると数寄屋建築は大きな変化を見せました。
武士茶人により大胆な創意がなされ、江戸時代初期に50年かけて造営された桂離宮には安土桃山時代当初の手法が多く見られます。
最初は狭い茶室と言う空間から始まった数寄屋建築ですが、時代とともに広い空間でもその手法が見られるようになりました。
昔ながらの建築様式「数寄屋建築」を現代にも通じるよう、また住宅にも通じるデザイン性や考え方が取り入れられたものは「数寄屋造り」と呼ばれています。
今、和の趣を感じる「数寄屋造り」が人気となっています。
数寄屋建築の由来
茶室のことを「数寄屋(すきや)」と呼んでいました。
元々庭園に面した別棟の小さな茶室のことです。
基本的に四畳半以下のその茶室は、特別なものと認識されていました。
「数寄(すき)・数奇」とは和の文化である生け花や和歌、茶の湯など、風流を好むことです。
好みを外に出して表すことという解釈のほか、「数」が「寄る」との意から、さまざまな材料をあり合わせて建物をつくることと、数寄屋との名前の由来は二つの説があります。
安土桃山時代には小規模な茶座敷を「数寄屋」と呼んでいました。
茶人たちは豪華な装飾を嫌い、シンプルな数寄屋を好みました。
高価な材料や高度な技術を好まず、庶民が住宅に使うような粗末な材料を使い簡素に作られていました。
時代とともにその形が装飾性を増すなど変遷してきています。
現在残されている数寄屋建築の代表的な歴史的建造物が以下になります。
- 桂離宮
- 修学院離宮
- 伏見稲荷大社御茶屋
- 曼殊院書院
- 臨春閣
数寄屋のエッセンスを住宅に
現在もなお注目されている数寄屋建築。
昔ながらの数寄屋建築を現代風にデザインし、住宅に取り入れたものを「数寄屋造り」「現代数寄屋」と呼んでいます。
これまでは主に商業施設などに採用されてきましたが、最近では和を表す住まいに数寄屋を取り入れる流れが目立つようになりました。
和室の床の間や天井、玄関の天井など住宅の随所に数寄屋造りを取り入れれば、和モダンな斬新な住宅が完成します。
基本的に洋風住宅であっても、数寄屋のエッセンスを取り入れることでどこか懐かしい和洋モダン住宅になるでしょう。
日本伝統の数寄屋を生かした和の住宅も素敵です。
品のある日本独自の建築技術である数寄屋は、日本人にとって非常に魅力的なものです。
豊かさと趣あふれた上質な住まいを実現できるに違いありません。
数寄屋住宅は
数寄屋住宅は、住む人の好みをいかし造られる住宅です。
選ばれた素材と伝統的な技術で建てられた数寄屋住宅は、奥ゆかしく品良く日本人の心のよりどころではないかと思われます。
伝統的な技術を守り伝える現代数寄屋は、和の様式をふまえたものとして住む人の心を和ましてくれます。
自然と共存する建物とその生活は、最近では外国人まで魅了しています。
実は伝統建築の中で、日本から誕生した真の日本伝統建築は数寄屋建築のみです。
他の建築様式は、日本で誕生したものではなく、中国や朝鮮半島から伝わったものを日本風にアレンジして完成したものです。
日本では現在どちらかと言うと、モダンな様式で建てられる建築が増えています。
ただ、外国へ行ったときに日本を意識するように、和の魅力を知りその様式を取入れた住まいは、世代を超えて支持されています。
最終更新日:2020年10月13日投稿日:2018年5月16日