日本の文化には、風土や歴史に基づく豊かな伝統が根づいています。
日本人の生活に密接に結びついている民芸では、日常の道具や装飾品に込められた職人の技と心を感じることができます。
民芸とは単なる美術品ではなく、実際に使われることでその価値が発揮されるものです。
また民芸の精神は建築の世界にも反映されており、私たちの住まいや空間に独特の温もりと魅力を与えています。
ここでは日本の文化に関係ある民芸の魅力と、それが建築にどのように取り入れられているかについて紹介します。
●民芸
民芸(民藝)とは「民衆的工芸」の略語で、日本の伝統的な工芸品や日用品のことを指します。
この言葉は柳宗悦(やなぎむねよし)を中心にして名付けられました。
1925年に柳宗悦らによる「日本民芸美術館設立趣意書」が発表され、これが民芸運動のはじまりだと言われています。
・民芸の父 柳宗悦
柳宗悦は民芸運動の創始者として知られ、彼の理念は「民衆の芸術」にあります。
彼は職人たちが心を込めて作り上げる日常品の美しさと価値を再評価し、それを広めることに力を注ぎました。
美術工芸品のような鑑賞用の作品が主流だった当時に、柳宗悦は日常生活で使う工芸品や日用品を「民芸(民藝)」と名付けて、美術工芸品とは違う名もなき職人の手仕事による美しさがあると提唱しました。
・民芸運動
工芸をめぐる文化運動は「民芸運動(民藝運動)」と呼ばれています。
民芸運動では、職人たちが手作業で作る製品の美しさが提唱されました。
民芸運動に同調した陶芸家や工芸作家は、自分たちで民芸を盛り上げようとして多くの品々を生産しました。
島国である日本では、江戸時代の鎖国制作や封建制度の影響もあり、独自の文化や産業を育みやすい環境でした。
柳宗悦の民芸運動によって、日本ではさまざまな従来使われてきた生活用具が、民芸という理念の元でさらに新たに新しい民具や工芸品が生み出されました。
それらを民芸品とよんでおり、その考え方は時代を超えて現代へと受け継がれています。
●民芸品の数々
民芸品には多種多様なものがあります。
たとえば陶器、染織、家具、木工品で作られた品々です。
<陶器>
陶器では益子焼や瀬戸焼などが有名です。
これらの陶器は、地域ごとに異なる土や釉薬を使っているため、独自の風合いと美しさがあります。
・益子焼
素朴で温かみのあるデザインが特徴です。
耐久性に優れ、日常使いの器として人気があります。
民芸運動の中心的な活動家だった濱田庄司という陶芸家が益子に定住して陶器を生産したことをきっかけに、数多くの陶芸家が移住しました。
現在でも栃木県益子町周辺で生産される陶器は益子焼と呼ばれており、「民芸の町・益子」として親しまれています。
・瀬戸焼
瀬戸焼とは、愛知県瀬戸市で生産される陶器で、平安時代からの長い歴史を持ちます。
白い土を使用し、繊細で美しい絵付けが特徴です。
茶道具や食器として広く愛用されています。
全国の産地に通って民芸運動を主導していた柳宗悦らは、瀬戸の風土とともに育まれてきた職人の手仕事を高く評価したといわれています。
<染織>
藍や紅や紫根の絞り染の着物、木綿とくず繭で織った丹波布、使い古した着物を細かく裂いて織った裂き織、津軽のこぎん、南部の菱刺し等
手間暇がかけられた素朴で丈夫な織物が見うけられます。
沖縄で造られるイトバショウの繊維から造られる、芭蕉布もあります。
<家具・木工品>
家具や木工品も民芸の重要な分野で、職人の技術が光る品々が多く存在します。
その中でも特徴的な家具・木工品といえば、米国、フランス、米国などの製品を参考にして作られた洋家具(椅子)です。
・洋家具
和風建築に適する独特の風合いをもった日本の洋家具(椅子)は、もともと和家具職人らの手によって作られました。
日本民芸協会の協議会にて、柳宗悦と出会った池田三四郎は、民芸論を研究し、松本の木工業を復興してほしいという柳の願いに応えました。
終戦直後は和家具の生産が休止状態となり、職人も仕事がない状態でした。
その職人らに洋家具の知識を与えて研究を重ねた結果、地域の職人たちの手仕事による洋家具が作られたのです。
民芸品は、地域ごとに異なる素材や技法を用いて作られており、その多様性と職人技が魅力です。
これらの品々は、日常生活に使われることで、その美しさと実用性が引き立ちます。
伝統的な技法の手仕事で作られた民芸品の数々は、現在でもその美しさで私たちを魅了し続けているのです。
●民芸と民芸館
日本各地には、民芸品を展示する民芸館が存在します。
これらの施設は、地域ごとの民芸品を保存・展示し、訪れる人々にその魅力を伝える役割を担っています。
ここでは代表的な民芸館についていくつか紹介します。
・日本民藝館
1936年に開設された東京にある日本民芸館には、柳宗悦らが蒐集した多くの民芸品が展示されています。
初代館長に就任した柳宗悦は、この場所を活動の拠点として調査研究や展覧会の開催などに励みました。
ここには、河井寛次郎の陶器の作品や、益子焼の濱田庄司の作品、イギリスのセントアイブスのバナード・リーチの陶器や、黒田辰秋の家具や芹沢銈介の型絵や沖縄の紅型など、現在でも多種多様な民芸品が見られます。
そして、この民芸館には朝鮮陶器を始め海外で柳が蒐集した民族的な民具などが集められ、現在も定期的に入替をされ展示会が開催されています。
・倉敷民藝館
岡山県倉敷市にある倉敷民芸館は、1948年に日本民芸館に次いで日本で2番目に開設されました。
倉敷出身の実業家である大原孫三郎は民芸運動を支援しており、開設にあたって建設費を寄贈しました。
江戸時代の米倉を活用した土倉作りの建物から作られた倉敷民芸館は、建物自体が民芸品として知られています。
岡山県をはじめとして世界各国から蒐集した約一万五千点の民芸品が所蔵されています。
・鳥取民藝美術館
1949年に開設された鳥取県鳥取市にある鳥取民芸館は、民芸品の美しさを広める目的に加えて鳥取の職人たちへの教育の場として使われていました。
牛ノ戸焼など民芸運動に傾倒した吉田璋也のコレクションが約5,000点収蔵されています。
柳宗悦の活動に刺激を受けた吉田璋也は、自らがデザインした陶器や木工、金工などを工人に指導して製作させました。
工人集団と販売組織を次々に設立した吉田璋也の活動は新作民藝運動とも呼ばれています。
●民芸と建築
民藝運動が尊重する伝統技術は、建築にも深く根ざしています。
たとえば真壁の納まりの木部の弁柄塗りの朝鮮張りの床です。
・弁柄塗り
酸化鉄を原料とした赤色の塗料で木部を塗装する技法です。
日本では古くから木部塗装として古民家の梁や柱に施されていました。
独特の赤色が空間に深みと歴史を与えて、民藝運動が目指す日常生活における美しさを感じさせてくれます。
耐熱性・耐候性があり経年劣化に強い素材です。
・朝鮮張り
木材が不足していた朝鮮半島で見映えがよくなるように工夫された独特な床の貼り方です。
細かい木目が美しく、耐久性に優れています。
民藝運動の中心人物であった京都の河井寛次郎の記念館では、当時の日本では珍しかった朝鮮張りの床が使われています。
この床張りは、朝鮮陶器の素朴さに民芸の美を見つけ建築にもその美を形にしたのではと思われます。
民芸の美学や価値観は現在の建築物にも影響を及ぼしており、伝統技術を形にした造形や色、風合いは今見ても
大正ロマンや昭和レトロのような何かしら懐かしいような居心地の良さを感じさせてくれます。
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