京都の近代建築

近代建築とは

近代建築はモダニズム建築とも呼ばれ、過去の歴史的様式から脱却し、機能性と合理性を追求した新しい建築様式です。
広義では1890年から1960年頃の時期を指し、狭義では1920年頃の建築形式を意味することもあります。
建築は地域の伝統・文化、暮らしと密接にかかわりがあり、多種多様な歴史を各国がたどっています。
近代建築が行われる前は、古典主義やロマン主義、過去の建築様式の模倣などが蔓延していました。
産業革命をきっかけに鉄やガラス、コンクリートを大量に工業生産できるようになり、多様な社会生活に対応できる新しい建築様式が求められて近代建築に移り変わります。

京都に近代建築が多いのは

京都は寺院・仏閣が多く歴史ある古都として有名ですが、近代建築物も数多く残っています。
近代建築物が増え始めたのは、明治時代の文明開化で西洋風の文化が流入したことがきっかけでした。
和と洋を取り入れた日本ならではの多様なスタイルの建物が増えました。

京都は全国的に近代建築が多い都市で、その件数は600以上と言われています。
市町村区単位では日本で1位、2位を争う数です。
明治以降とりわけ大きな自然災害や紛争がなかったことが幸いして、良い状態で残っている近代建造物が多くあります。
東京へ遷都しても京都の都心部で金融・行政・商業が発達していたこともあり、堅牢な造りの近代建造物が各所に建てられました。
当時建てられた銀行、商業施設や学校などには今も名残が残っています。
富裕層が多く住む地域を中心とした住宅地にも近代建造物が建てられましたが、建物の老朽化や住人の移り変わりにより取り壊しと建替えで年々数が減少しています。

近代建築の構造や素材・意匠の特徴は

機能性・合理性を重視した近代建築は工業生産による建築材の普及により発展しました。
新素材の鉄・コンクリート・ガラスが新しく取り入れられるようになります。
新技術として鉄骨造、鉄筋コンクリートも導入されました。
鉄骨造は鉄橋や駅舎、アーケードなどに使われていました。

鉄筋コンクリートはフランスの建築業者フランソワ・エンヌピクがその普及に貢献し、生涯で2万件を超える鉄筋コンクリートの建造物を作ったと言われています。
当初の鉄筋コンクリートはできるだけ安価に工場や倉庫、簡易住宅を建設するために利用されていましたが、
レンガ壁に鉄筋コンクリートを結合する技術なども考案されるようになり工法が進歩しました。

近代建築の意匠として、巨匠のル・コルビュジエは近代建築の五原則を提唱しました。
その内容はピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面です。
近代建築以前の石造・煉瓦造では実現できなかった、自由で開放的な空間が実現されました。

近代建築が文化遺産に

2016年7月にル・コルビュジエの建築作品17件が世界遺産に認定されました。
ル・コルビュジエは近代建築運動へ貢献した建築家で、今も建築業界へ大きな影響を与えています。
世界遺産に認定された作品には東京上野にある国立西洋美術館も含まれ、大勢の観光客で賑わったのも記憶に新しいことでしょう。
国立西洋美術館は無限に成長する美術館を構想して造られました。
美術館は収蔵作品が増えていき、スペースが足りなくなる問題を避けて通れないため、広大な敷地に建物を建造し外側に向かって展示スペースを広げる施策が試されたのです。
館内の常設展示のスペースは螺旋状で緩やかな坂道になっている部分があり、コルビュジエの意匠を感じられます。

日本では重要文化財として、学術的価値・歴史的価値の高い建築物や美術工芸品、考古資料などが保護されています。
文化財保護法によると有形文化財、無形文化財、民俗文化財、記念物、文化的景観、伝統的建造物群の6種を文化財として分類しています。
建造物は当初社寺建築を対象としていましたが、現在では城郭や民家、近代建築物も指定されるようになりました。
日本は梅雨時に多湿になり建物が傷みやすく、台風や地震などの災害があると破損しやすいことから、適切な時期に保存修理を行うことが必要です。
また、近代化により取り壊される畏れがある建造物を保護する役割もあります。
これまで営まれてきた歴史・文化、建築技法を維持・保存し、後世へと引継ぐためには欠かせない取り組みです。
価値を損なわないように適切な修繕を行うことが必要で、建物の材質、加工技術も現在と異なるため、知識見聞を広める研究も進められています。

また、近代建築は国民共有の貴重な文化遺産として保存されるだけでなく、有効に活用されることで継続的に維持される一面もあります。
近代建築物として文化財に登録されている建物には片倉館、大隈重信記念館、寒河江市役所などがあります。

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最終更新日:2020年3月4日投稿日:2018年10月25日